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夢の世界は近未来?

私が夢で見る世界について、旧ブログに書いた事があります。(この記事

その夢の中の世界が一体何なのか、最近ちょっと分かってきたような。


👇旧ブログに書いた【私が夢で見る世界】です。


 

夢の中の私はいつも、どこかの『星』にいます。

子供の頃から、鮮明に覚えている夢の舞台は必ずこの星でした。

昼間と夜がありますが、昼間は曇っている事が多いです。


この星の主要移動手段は​電車​。​

いつも電車で移動します。

色んな電車があります。

普通に街の中を走る電車もあるし、空中の線路を走る電車なんかもあります。


この星では、人々は自由に生活しているように見えますが、何だか常に重い雰囲気に覆われています。

何かとてつもなく強くて、あまり優しくない・・全然優しくない何かに、完全に征服され、監視されている。

それでも人々は制限された自由の中で、明るく前向きに生きようともがいている。

そんな感じがする世界です。


私は小さい頃からこの星にいる夢を見る時、いつも全く違う立場でした。

学生だったり、働いていたり。

夢を見るたんびに舞台は違う学校だったり、違う職場だったりしました。

だから完全に「夢」だと思っていました。つい最近までは。


でもハーキマーと一緒の部屋で寝るようになってから、前よりも夢の細部を覚えていられるようになってきて。何となく分かってきました。


私はどうやらあの星で『地下組織的なグループ』に属していて。

色んな場所に潜入して、何かを調べている。スパイ的な動きをしてる。

だからいつもどこかハラハラしている。気を張ってる。


 


👆これを旧ブログに書いた後も、この「夢の世界」で生きている夢をたまに見ていました。


そして2021年。


ネットで偶然ある記事を読み、めちゃめちゃ衝撃を受けました。

本当に偶然見つけた記事でした。記事が載っているサイトは名前すら知らなかったし、どんなサイトなのか、他にどんな記事が載っているのか、記事を書いている人がどんな人なのか、さーーっぱり知りません。

知らない誰かがこの記事について呟いてるのを偶然見かけて、深く考えずになんとなーく指が動いてタップして、たまたま見つけて読んだ記事。


その記事に書いてある世界は、私が夢でたまに見ている世界そのものだったのです。

鳥肌立ちながら読みました。


タイトルは


👆クリックすると記事に飛べます


まず冒頭にこう書いてあります。


「このブログは、世界経済フォーラムのグローバル・フューチャー・カウンシルの年次総会に先立って書かれたものです。アイダ・アウケンは、ヤング・グローバル・リーダーであり、世界経済フォーラムの都市と都市化に関するグローバル・フューチャー・カウンシルのメンバーです。」


私には意味がよく分かりません。

「世界経済フォーラム」が分からんし、「グローバル・フューチャー・カウンシル」が分からん。

まあとにかく【私が夢で見る世界】にそっくりの文章は、アイダ・アウケンという人が書いたものらしい、って事だけ分かりました。


で、そのアイダ・アウケンさんが書いた文章です👇

一部抜粋させて頂きます。


 


2030年へようこそ。私の街へようこそ。”私たちの街 “と言うべきでしょうか。私は何も持っていません。車も持っていません。家も持っていません。家電製品も服も持っていません。

あなたには奇妙に思えるかもしれませんが、この街の私たちにとっては完璧に意味のあることなのです。あなたが商品だと思っていたものは、すべてサービスになっています。交通手段、宿泊施設、食べ物など、日常生活に必要なすべてのものが手に入ります。これらのものが次々と無料になっていったので、結局あまり所有する意味がなくなってしまったのです。


まずコミュニケーションがデジタル化され、誰もが自由に使えるようになりました。そして、クリーンエネルギーが無料になったことで、物事が急速に進み始めました。交通機関も大幅に値下がりしました。運転手のいない車や空飛ぶ車を呼んで数分で長距離移動ができるようになったので、車を所有する意味がなくなったのです。公共交通機関が車よりも簡単で早く、便利になったことで、私たちはより組織的で協調的な方法で移動するようになりました。今となっては、エンジンによる大気汚染はもちろんのこと、混雑や交通渋滞を受け入れていたことが信じられません。私たちは何を考えていたのでしょうか?


私は友人に会いに行くときに自転車を使うことがあります。私は友人に会いに行くときに自転車を使うことがありますが、運動と走行を楽しむことができます。魂が旅についてくるようなものです。歩くこと、自転車に乗ること、料理をすること、絵を描くこと、植物を育てることなど、不思議なことに、いつまでもワクワク感を失わないことがあります。これは完璧に理にかなっており、私たちの文化がいかに自然との密接な関係から生まれたかを思い出させてくれます。


私たちの街では家賃を払っていません。というのも、私たちが必要としていない自由なスペースを誰かが使っているからです。私のリビングルームは、私がいないときはビジネスミーティングに使われています。


たまには、自分のために料理をすることもあります。必要なキッチン用品が数分で家に届くので、とても楽です。輸送が無料になってからは、家の中にいろいろなものを詰め込まなくなりました。パスタ・メーカーやクレープ・クッカーを戸棚に詰め込んでおく必要はありません。必要な時に注文すればいいのですから。


また、循環型経済を実現することも容易になりました。製品がサービスに変わると、寿命の短いものには誰も興味を示さなくなります。すべては耐久性、修理性、リサイクル性を考慮して設計されています。材料は経済の中でより早く流れており、新しい製品に簡単に変えることができます。私たちはクリーンなエネルギーとクリーンな生産方法しか使わないので、環境問題は遠くにあるように見えます。空気はきれいで、水もきれいで、自然保護区に手を出す人はいません。都市部には緑地がたくさんあり、いたるところに草木が生えています。なぜ昔は都市の空き地をすべてコンクリートで埋めていたのか、いまだに理解できません。


ショッピング?それが何かはよく覚えていません。ほとんどの人にとって、それは使うものを選ぶことに変わりました。これを楽しいと思うこともあれば、アルゴリズムにやってもらいたいと思うこともあります。アルゴリズムは、私よりも私の好みをよく知っています。


AIやロボットが私たちの仕事の多くを引き継いだとき、私たちは突然、よく食べ、よく眠り、他の人々と過ごす時間を持てるようになりました。ラッシュアワーという概念はもう意味がありません。私たちの仕事はいつでもできるからです。仕事と呼べるかどうかはわかりませんが。思考時間、創造時間、開発時間といったところでしょうか。


一時期、すべてがエンターテイメント化していて、人々は難しい問題に煩わされたくないと思っていました。最後の最後になって、これらの新しいテクノロジーを単なる暇つぶしではなく、より良い目的のために利用する方法が見つかったのです。


私が一番心配しているのは、この街に住んでいない人たちのことです。私たちが途中で見失った人たち。このテクノロジーを使いこなせないと判断した人たち。ロボットやAIが私たちの仕事の大部分を占めるようになったとき、時代遅れで役に立たないと感じた人たち。政治体制に憤慨して反旗を翻した人たち。彼らは都市の外でさまざまな生活をしています。ある人は小さな自給自足のコミュニティを形成しています。他の人たちは、19世紀の小さな村の空っぽの廃屋にとどまっています。


たまに、本当の意味でのプライバシーがないことに腹が立つことがあります。どこに行っても登録されていない。どこかで、私の行動、思考、夢のすべてが記録されていることを知っている。ただ、誰も私に対してそれを利用しないことを願っています。


全体的に見て、これは良い人生だ。私たちが進んできた道に比べれば、はるかに良いものだと思います。生活習慣病、気候変動、難民危機、環境破壊、都市の完全な混雑、水質汚染、大気汚染、社会不安、失業など、恐ろしいことが起きていました。私たちは、これまでとは違うやり方で物事を進めることができると気づくまでに、あまりにも多くの人々を失ってしまいました。


 


私は自分の夢の中の世界が一体どういうシステムで動いているのか、いつも不思議でした。

人々は苦労してお金を稼いでいる、という感じがありません。

でも日常生活に困っている感じもありません。

夢の世界の「私」はあの世界で、かなり頻繁に住む家を変えます。

『引っ越し』がどうしてこんなに気軽で簡単なんだろう?といつも不思議でした。


そして常にあの世界を覆っている「監視されてる感」。

あそこで暮らす限り、24時間常に監視され、管理されている。

自由に生きているようで、実は全く自由じゃない世界。


このアイダ・アウケンさんの文章を見て、ああなるほどそういうシステムだったのね・・と腑に落ちた思いでした。




でも・・2030年て???


あれ?あの「夢の中の世界」は、近未来なの・・?



 


そして2022年。つい数日前。10月の終わり。


気になる夢を見ました。



夢の中で、私は友人2人と一緒にシアトルの街を歩いていました(実在する女友達2人です)。

私達3人が歩いているのはシアトルなんですが「今」じゃない。「近未来」という感じがします。


「今の文明がいちど全部ぶっ壊れた後の世界」


という感じが凄くする。

なのでシアトルの街は壊れてる建物とか、誰も住んでなさそうな建物が多くて。

でも残った人達が頑張って再生してお店を開いてる建物がチラホラあって。

私と友人2人は「あそこにレストラン開いてるじゃん、食べてみるー?」なんて話しながら歩いてます。

レストランと言ってもお店の中のキッチンは使えてないっぽくて、店の外にバーベキューグリル的なのを置いてお料理してました。

裸電球がいくつかぶら下がっていました。


その世界は、以前よく夢に見ていた「大きな組織に常に監視されている世界」ではなくて。

漫画「アキラ」の最後のシーンに雰囲気が似てました。

アキラでは東京が一度めちゃめちゃになるけど、最後のシーンで主人公とヒロインが希望に満ちた笑顔で、2人でバイクに乗ってめちゃめちゃにぶっ壊れた東京へと走っていく。

私達3人はバイクには乗ってなかったけど、あんな空気感だったんです。

「破壊」の後の「再生」「希望」みたいな空気感というか。


文明は一度壊れたけど、死んじゃった人達もいるけど、でも生き残った人間も決して少なくはない。

残ったみんなでこれから新しい地球を作っていこう!

みたいな雰囲気で満ちていました。



夢の世界が変わった。

これはどういう事なんだろう。


ただの「夢」かもしれないけど。

別に近未来とかじゃないかもしれないけど。

もしも近未来の光景だとしても、きっと複数あるタイムラインの1つ、って事なんだろうけど。

そして私たちの集合意識がどんな近未来へのタイムラインを選択するのかは、まだ分からないけど。


とにかく私の夢の世界は、『超監理され監視されてる世界』から『破壊→再生、希望』の世界へと変化しました。







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